『ブラック・スワン』を観て思い出した、とある男を襲った悲劇


Based on a True Story


昔、ケリー・フォン・エリック*1というプロレスラーがいた。


彼の父はフリッツ・フォン・エリック*2。巨大な掌と一説には200kgを超えると言われた握力を持つ有名なプロレスラーで、必殺技「アイアンクロー」を武器に世界中に名声を轟かせた。日本でも、ジャイアント馬場のライバルとして数々の好勝負を残している。
フリッツは、地元テキサス州ダラスにプロレス団体WCCWを設立。同団体のオーナー兼エースとして活躍。引退後もプロモーターとして一時代を築いていた。
私生活では男の子が6人と子宝にも恵まれる。その後、不慮の事故により長男のハンス・アドキッセン・ジュニアを幼くして亡くすという悲劇を乗り越え、残った5人の息子達をプロレスラーとして育成していく。
フリッツには「夢」があった。悪役レスラーであった自分が叶えられなかった夢。それは、我が息子達を世界3大ヘビー級王者に君臨させる事。当時のアメリカの世界3大プロレス団体とは、WWF(現WWE)、NWA、AWA、の事であり、フリッツ自身、過去にAWA世界ヘビー級王座のベルトは腰に巻いている。しかし、NWA王座、そして最大の団体と言われたWWF王座を手中に収める事は無く現役を退いていた。元来、ヒール(悪玉)の彼には、タッグ王座は兎も角、シングル王座の座に就くのは、かなり困難な事であったと思われる。
しかし、息子達は違う。地元のマットで、次世代のスター候補として育て上げた彼等なら…。「偉大なるエリック一家」これがフリッツの「夢」だった。
そんな夢を抱く彼に、またしても悲劇が訪れる。84年、次期NWA世界ヘビー級王者の最有力候補だった三男デビット*3が急死する。25歳の早すぎる死であった。(死因は諸説あるが、公式には内臓疾患とされている)
だが、僥倖は不意に訪れる。奇しくもデビットの追悼興行において四男ケリーがリック・フレアーを撃破、若干24歳にして第67代NWA世界ヘビー級王者となるのである。
精悍な顔立ちと長くなびく髪、レスラーとしては少し線の細い次男ケビン*4や五男マイク*5と異なり、190cmを超える上背と恵まれた逆三角形の体格、親父譲りの巨大な掌と、そこから繰り出される凄まじい握力。デビット亡き後、エリック兄弟の中で世界王座制覇に一番近い男として、ファンの、そして父の期待を一身に背負う事となる。
そんな中、順調にキャリアを積み重ねる彼に突如、災難が降り掛かる。86年にオートバイ事故を起こし緊急入院、右足に完治は不可能と思われる重傷を負ってしまう。この大事故に誰もが復帰は絶望的と考え、将来有望な選手の不幸を嘆いた。
この頃からマスコミやファンの間で「呪われたエリック一家」と囁かれるようになる。この出来事に更なる追い討ちをかけるように、87年4月、次世代の希望を託されていたマイクが、故郷ダラスの湖で服薬自殺。度重なる「呪い」。これでエリック一家は終わったと誰しもが思った。
しかし、奇跡が起こる。一時は再起不能と思われていたケリーだったが、彼は不屈の闘志でリハビリを重ね、87年10月に驚異の復活を果たしたのである。このニュースにファンや関係者は歓喜した。「ケリーが呪いを撥ね除けたのだ」と。
復帰後も本拠地のWCCWで、AWA王者ジェリー・ローラーとの抗争を繰り広げる。そして、着実にキャリアを重ねたケリーは、遂に90年、テキサス・トルネードの名で念願のWWF参戦。同団体のヘビー級王座に次ぐNo.2タイトル、インターコンチネンタル王座を奪取する。父のAWA世界ヘビー級王座と合わせ、エリック一家の、父・フリッツの長年の夢、世界3大ヘビー級王座制覇まで後一歩に迫る。もう少し、もう少し…。


…しかし、最早、彼の肉体、そして精神は限界を迎えようとしていた。


この時期から、ケリーのファイトは徐々に精彩を欠く。実は、事故以降、彼はコカインや鎮痛剤の力を頼りにリングに上がり続けていたのだ(元々、コカインは使用していたとの説もあるが、事故以降に依存は顕著となっている)。ドラッグ中毒者となった彼は、その影響で試合を怠っていき、出場停止の処分を受ける事も増えていく。そして92年、遂にWWFを解雇される。

この数年前、またしてもエリック一家を幾度目かの災いが襲う。六男クリス*6が21歳の若さでピストル自殺をしたのだ。彼は身長165cm、体重73kgと、兄達とは明らかに見劣りする、レスラーになるには非常に小柄な体格。エリックという名のプレッシャー。その苦悩の果ての自殺だったのかも知れない。


絶望の淵にいる彼の下にも、再び「エリック一家の呪い」が忍び寄る。93年2月17日、彼はコカイン所持の罪で逮捕される。別の薬物使用の罪で執行猶予期間中だった為、翌日、実刑を伴った有罪が確定。その同日、自宅である父親の農場に向かった彼は、ピストルで自らの胸を撃ち抜き、その激動の人生に幕を閉じた。




その数日後、悲しみに暮れる我々は衝撃の事実を知る事となる。手術とリハビリで復帰したと思われていたケリーの右足は、実は「義足」だったのである。彼は事故で失った右足に義足をはめ、片足を引き摺りながらリングに上がっていたのだ。


片足を失った彼を義足を付けてまで、尚もリングへと向かわした理由は何であったのだろう。偉大なる父の影。その父が息子達に託した「夢」。「呪い」のように次々に亡くなっていく兄弟。プロレス一家に育ち、リング上でしか生きる事を知らない哀しみ。世界最大プロレス団体のスターダムに立つ栄光。その地位を維持する重圧。そして、そこから零れ落ちる恐怖。失った右足が悲痛の叫びをあげる。幾多の要因が彼の精神を蝕んでいき、結果、薬物地獄へと堕ちていったのでは…というのは勘繰り過ぎなのだろうか?


結局、フリッツは「エリック一家の栄光」という夢を最後まで叶えられぬまま、97年に、68歳で癌の為にこの世を去る。「偉大なるエリック一家」の中で最後に残ったのは、既にプロレスラーを引退していた次男ケビンのみだった。*7




『レスラー』のランディは、自らの怠惰な性格により、半ば自業自得な形で破滅を迎えていった(だからこそ男泣き映画になり得たのだが)悲しき男の物語だったのに対し、『ブラック・スワン』のニナは、過保護な母親の「過去の夢への妄執」という呪いから逃げる術を知らないが故、バレエの世界以外を知らないが故、自らを狂気の果てへと追い込んでしまった精神的に幼き女性である。その姿に、強大な権力を持つ父の下で、プロレスの世界に生きる事を余儀なくされた若き2世レスラーの悲しげな姿が重ねて映る。そこに『レスラー』とは似て非なる、自らの力では抗えない不条理な悲しみと恐怖を感じてしまう。


義足を付けたケリーが、リング上で見た光景は輝いていたのだろうか。せめて、映画の中のランディやニナのように、リングの上だけは、目映い光を見出していたのだ…と願わずにはいられない。

*1:上記写真左端

*2:同写真右端

*3:写真左から二人目

*4:写真右から二人目

*5:写真中央

*6:写真中央の少年

*7:参考文献・中島らも著『アマニタ・パンセリナ』