許すはよし、忘れるはなおよし 『大鹿村騒動記』


でんでんも出てますが、怖くはないので安心してください。


阪本順治監督作。「忘れる」ことは最大の「許し」である。という言葉を聞いたことがある。確かに口では「許す」というのは簡単だが、「忘れる」というのはなかなか難しい。それが近しい人なら尚の事。


今作の表立ったストーリーは「300年以上前から伝わる大鹿村の名物行事、大鹿歌舞伎。その公演迄のドタバタ劇」だが、その本題は「風祭善(原田芳雄)の元へ、善の幼馴染み・治(岸部一徳)と、彼と一緒に駆け落ちした妻・貴子(大楠道代)が18年振りに帰ってくる。しかし、彼女は脳の病気により、記憶障害になって夫の事も、駆け落ちした事実も忘れてしまった。さて、善は貴子の事を受け入れ、許す事が出来るのか?」という、どう転んでも重苦しくなりそうな話。この重い設定を阪本監督と荒井晴彦の手腕が光る脚本で見事に笑いに転化させている。そして、それに応えるように原田芳雄大楠道代岸部一徳のベテラン俳優も、これまた素晴らしい演技で人情喜劇に仕上げている。
原田芳雄演じる風祭善は、一見、無骨だが、心根は優しく、情に熱い。大楠道代演じる記憶障害の妻・貴子は、立ち居振る舞いからして危うげでいて、ときに無邪気で何処かチャーミング。何と言うか「ほっとけない」と思わせる感じです。岸部一徳の治は、身勝手でだらしのない男なのだが、自然な感じで飄々としていて憎み切れない。この三人の会話のテンポが絶妙で、その間合いで多くの笑いを取っていました。(台所での、過去の事を詰る善と、頓珍漢な受け答えをする貴子のやり取りは見事)。もしや三人のキャスティングを念頭に入れて役柄をアテ書きをしたのではないかと思わせる程のはまり役でした。


そして、今作はコメディであると同時に、忘れること、そして許すことの困難さを描いた作品なのかなとも思いました。善は自分を裏切った貴子達を受け入れたくは考えるのだが、事ある毎に過去の記憶が思い出され、どうにも許しきれないでいる。貴子は自分の過去の行いを悔やみ、その記憶を心の奥深くに封印し、忘れ去ってしまう。そして、その記憶を思い出す事に恐怖する。しかし嵐の中、記憶の一部を取り戻した彼女は、その許され難き己の裏切りに自責の念に駆られ、悲嘆し、慟哭する。長い人生の中、お互いに、許す(許される)こと、忘れる(忘れられる)ことの難しさを感得しているのだろう。だからこそ、クライマックスの大鹿村歌舞伎本番で貴子が善につぶやいた言葉が心に沁みる。
全てをきれいさっぱり忘れて、許して、大団円というのではなく、その許されない、忘れられない想いも含めて、全てを受け入れる。少しだけビターだが、それが等身大なハッピーエンドなのだと、村へと繋がる陸橋を子供のように追いかけっこする三人の姿を見ながら思いました。