紛うことなきガールズムービー 『デンデラ』


ドキッ!女だらけの雪山登山



故・今村昌平監督の息子、天願大介監督作。以前に予告編を観て「酷寒の山に捨て去られた老婆たち…。しかし、彼女等は生きていた!」みたいな煽りに「おお!まさか『姨捨山・オブ・ザ・デッド』か!?」と、ちょっと気にはなっていたんだが、…まあ、そんなワケはないだろうし、おばあちゃんばっかりでキャスティングも魅力ないし、原作も読んでないし、「姨捨山」に興味があるわけでも無し(父・今村監督の『楢山節孝』も未見)だしで、多分、観ないだろうなと思っていたのだが、意外な事にtwitterでの評価が軒並み好評だったので、『ハングオーバー!!』を観に行ったときに、もののついでに鑑賞致しました(流されやすい性格)。1000円だし(その上ケチ)。

冒頭、70歳を迎えた斎藤カユ(浅丘ルリ子)が姥捨て山に捨てられるシーンから始まります。このシーンで息子に背負われたルリ子も「瞳孔開いてんじゃないか?」ってくらいの眼力なんだが、その後、雪深い山中に捨てられたルリ子が、息子が立ち去った後、何をするかと思えば、おもむろに放尿をやり出す訳です。いきなりですよ。もうこの時点で俺は「よし、当たり掴んだ!」と心の中でガッツポーズをしたね。
夜になり気を失ったルリ子。このまま彼女の思い通り極楽浄土へと旅立つのかと思いきや、謎の老婆の集団に助けられ、「デンデラ」と呼ばれる秘密の集落に保護される。朝になり、目覚めるルリ子。そこで目にしたのは「うふふふふ」と不気味に微笑む双子の老婆!なぜに双子!『シャイニング』か!?『シャイニング』なのか!?ちなみに、この双子はこの後、たいして物語に関わらない!
村の老婆にデンデラを案内されるルリ子。ちなみにルリ子や老婆達は名前を呼び合うときに「久しぶりだな、斉藤カユ」とかフルネームで呼ぶんだが、その事についても特に言及はありません。この時代はそういうものなのか!?
そして、デンデラを作った御歳100歳の老婆三ツ屋メイ(草笛光子)と再会する。もう「100歳の草笛光子」って時点で凄いが、彼女がマジで格好いい。30年前に姥捨て山に捨てられて、デンデラを作るまでを回想シーンで辿るんだが、このシーンでの草笛のワイルドさたるや!今までの彼女のイメージがガラッと変わる体当たりの演技ですよ!格好いい!一人称が「オレ」だし!
草笛は捨てられた恨みから、「村人を皆殺しにしてやる!俺等は一度死んだんだ…死んだ人間は強いぞぉ…」と村人への復讐を誓う草笛。そして、50人近くの村人(もちろん全て老婆)を引き連れて村を襲撃する計画を企てる(ちなみに、襲撃に備えての訓練シーンもしっかりあるんだが、これもかなりの見所)。おお!これは正に『姨捨山・オブ・ザ・デッド』!オレが望んだ展開!
それに対し、「復讐など無意味」と草笛に異を唱えるのが椎名マサリ(倍賞美津子)。これが見た目からして最高!隻眼アイパッチのミッコ!アマゾネス(©3年B組)!間違いなく惚れる!!惜しむらくは、なぜ平和主義者の設定なのか!彼女は、「村の人間に片目を潰され、男達の慰みものにされたあげく捨てられた…一番、村を憎んでいるのは私です。でも、村を襲うのは間違ってます」と復讐を止めるよう草笛達を諭す。…いいじゃん!やっちゃえよミッコ!率先して村の男共をバッタバッタと殺っちゃえよ!
まあ、ミッコに賛同しているのは少数派なので、着々と襲撃決行の準備は整います。そして、決行目前のある夜、デンデラに大事件が起きる。人食い熊に村を襲われたのだ。乱れ飛ぶ老婆の生首や手足!血みどろで悶え苦しむ老婆達!予想外の展開!『老婆50人vsグリズリー』!素晴らしいじゃないか!ちなみに熊は着ぐるみ感満載!見せ方も何故か昔のアニマルパニック映画風!わざとか!
そして、生き残った老婆達による人食い熊へのリベンジが計画される。ここで、草笛光子に協力を促された際の、倍賞美津子の「デンデラを守る為なら…協力しましょう…」って台詞には超痺れた。来たぜ!ミッコ!熊vsウィリー、熊vs藤原組長に次ぐ、熊vs倍賞!
そして、デンデラの全員が一丸となった激闘の末、運も味方をし、2頭の人食い熊を撃退する。すげー!熊に勝ったよ、おばあちゃん!戦利品の熊汁を喰いながら、喜びの宴を行う面々。そして、それを見守る草笛光子。ああ、良かった…。
数日後、残った面々で村へと復讐に向かう草笛一行。自分たちを捨てた村へ対する思いは違うが、苦楽を共にした仲間達を不安そうに見送る倍賞美津子…。俺の脳内BGMでは『いつも一緒に』が流れる!(元夫・アントニオ猪木の入場テーマ曲『炎のファイター』に歌詞を付けて、彼女が歌った曲)


いつも一緒なの 愛があるから

男は戦いに 今日もまた 出かける

女はただ 待つだけ

何ひとつ 手につかず おろおろしている

長すぎる一日

いつも一緒なの 愛があるから


                   倍賞美津子『いつも一緒に』

いや!女も戦いに出かける!老婆も戦いに出かける!


この時点で、そこそこお腹いっぱいなんだが、まだ物語の半分ぐらいだ。続きの怒濤の展開は是非、劇場で自分の眼で確かめて下さい!!(ちなみに後半はルリ子のターンですよ)


…まあ正直、全体的に少し間延びした感もあるし、前にも述べたが熊は着ぐるみ全開だし、見せ方が下手な所も多いし、行動理由が判らんシーンもあるし、物語のテーマは伝わりにくいし、残念なところは山ほどあるんですが、それを補って余りあるパワーが漲った面白い作品でございましたよ。







・寡黙な弓矢の名手、保科キュウ(山口美也子)も渋くて格好いいです。でも俺は途中まで宮本信子と思ってました。
・後半、熊に戦いを挑むルリ子が被った頭巾が、真知子巻きのスカーフみたいで、ちょいと可愛かった。
デンデラの老婆達は死ぬときに何故か「でんでら〜!」と叫びながら死にます。もちろん、理由は説明されません。

あの頃トリビュートムービー 『SUPER 8/スーパーエイト』

どうでもいい話だが、俺は(特定の世代向け)コンピレーション・アルバムというのが嫌いである。最近でも70〜80年代の懐かしのヒット曲を無節操に寄せ集めては、「あの頃」に青春時代を送り、現在は生活に余裕もある大人達から、安易に小銭を掠め取るセコい商売が横行している。この手の商売を見るにつけ、「けっ!つまらん懐古趣味なんて糞食らえ!」と、普段から憤慨しとるわけだ(生活に余裕がない者の僻みでは決してない。決して)。
一方で、トリビュートアルバムやカバー曲なんかは好きだったりする。こちらは元々、一定の評価を得ている楽曲をに対して、影響を受けたアーティストが元曲に賞賛・尊敬を捧げつつ、オリジナルのアレンジを施す。真っ向から挑んで玉砕する者、変化球で勝負する者…。そこには只のノスタルジーではないプラスアルファがあり、アーティストの力量次第で、元曲以上の超名曲や、愛すべき迷曲が楽しめる事もある。





で、『SUPER 8/スーパーエイト』(ネタバレ満載です)




前評判の通り『未知との遭遇』や『E.T.』、『グーニーズ』、『グレムリン』等の一連のスピルバーグ監督・製作作品への敬愛。他にも『スタンド・バイ・ミー』を代表とする少年冒険映画、ジョージ・A・ロメロの『ゾンビ』を始めとする同年代のホラー映画への敬意も含まれている。後、直接的な影響は無いかも知れないが、同じくスピルバーグフォロアーであるジョー・ダンテ監督の、映画愛に満ち溢れた名作『マチネー 土曜の午後はキッスで始まる』に通じる雰囲気も感じられた。
と、ストーリーや映像の端々に「あの頃の映画」のテイストと深い愛情を残しながらも、善くも悪くも「只の寄せ集め映画にはしない」という監督の気概が垣間見え、「あの頃」の世代の観客への琴線に触れるノスタルジックな魅力に溢れながら、それらを知らない「現代」の観客にも楽しめる良質のトリビュート映画だ。
例えば、主人公の少年ジョーとヒロインの美少女アリスが、ひょんな事から見つめ合うシーン。これは定番の「内気な少年が、自分の得意分野に夢中になってる内に、密かに想いを寄せる女の子と目と目が通じ合って…」というボンクラ憧れ必死のシークエンスだが、監督は、これを「ゾンビ役の演技指導」というユニークな見せ方で表現する。
他にも、幼馴染みの太目の少年チャールズがアリスに対する淡い恋心を、恋敵になるジョーに告白するシーン。大概の少年映画に於いて、恋の鞘当てを演じるのは「内気な心優しい少年(主人公)」と「ちょい不良少年(ライバル)」だ。一方「太っちょ君」はコメディリリーフ、道化役の「恋愛部外者」に回される事が多い。だが、誰だって恋はする。それが高望みだったとしても。今作では、普段の映画なら「恋愛部外者」役になるチャールズに、叶わぬ恋心の苦しい胸の内を独白させる。これは全国の「モテキ無縁の野郎ども」必見の名シーンだ。俺たちの声を代弁してくれた!この告白シーンをチャンク*1に見せてやりたかったよ。
そして、彼等が遭遇する謎の生命体のフォルム。一般的に少年と異星人の遭遇・交流を描いた作品の場合、その造型は「愛嬌のある異形の怪物」や「人型の知的生命体」の姿形で描かれる事が多いが、今作では、まんま『クローバーフィールド』に出てくるクリーチャーの16分の1モデルのような、感情移入のし難い醜い怪物として描かれる。この辺りにも、今に通用するリアルさを感じる(でも、ちょっと目はつぶら)。
と、ここまでは監督の拘りの感じられる画作り、ツボを押えたストーリー展開、その上でひと捻りを加えた演出(と、半端無く可愛いエル・ファニングたん*2)に心をときめかせながら鑑賞していたのだが…




だが、一点だけ、どうしても解せない部分があったんだよ!
クライマックスのシークエンス。ジョー達が謎の生命体が潜む地下洞窟に侵入し、囚われのアリスを救出しようとする。そこで、遂に謎の生命体の姿を目の当たりにするのだが…。そこで、監督は悪趣味にも、クリーチャーが捕獲した人間をバクバク喰らってる姿を子供達に見せつける。……いやいや、ソレ映したらダメじゃね?いや、それまでも老若男女問わずで人間共を捕獲してたし、軍隊に対する破壊行為も繰り返してたし、「おそらく補食しているのであろう」と、匂わすくらいはいいと思うんですよ。一応、その生命体が人間に敵意を向けるようになった理由も説明されていたし。でも、直接的にそのシーンを見せる必要はないでしょう!そんなの見せられたら、幾らその後、主人公が謎の生命体に理解を示し、「君の気持ちは判るよ」と心を通わせても「いや、坊ちゃん。そう言いいますけど、アイツ、人間喰ってましたよ?千切れた足首ブラブラさせてましたよ?もしかして、あれクラスメイトの足首かも知んないっすよ?いいんっすか?」と、複雑な想いになってしまって、最後、謎の生命体が無事、宇宙船を完成させ故郷の星へと旅立っていっても…、俺の心のモヤモヤは晴れませんでした。
断っておくが、俺はどちらかと言うと残酷描写は大好物なタイプで、普段なら、この手の殺戮シーンは嬉々として観てるのだが、今作にそのテイストは求めてないんだよな。いや、判ってるのよ。「僕らの味方」だった頃のゴジラだってガメラだって、あんだけデカいんだから、移動中に人間共をプチプチ踏みつぶしてただろうし。でもさあ!そこは「推して知るべし」じゃないの!わざわざ惨いシーンを見せつけなくても良いんじゃないの!そこは夢を見せてよ!せめて、映画の中だけは!
だったら、あの生命体が人間に敵意を示すように至った経緯を、もっと詳細な描写で見せてくれたらなあ。孤独な異星人の感情も理解できただろうに。
と、まあ最後の最後に消化不良になってしまいましたが、それでもラストのシークエンス(親子の和解、少年の決断と成長、美しく光を放つ宇宙船)は、全てが輝きに満ちており、思わず、ウルウルしました。てか、タイトルで「アンブリン」のロゴが出てきた時点で、既にウルウルしたんだけどね。贅沢言えば、あの後に昔のワーナーロゴが出てきたら最高だったんだけどなあ。(今作はパラマウント映画です)

*1:グーニーズ』のおデブさん。スロースと仲が良い。

*2:ゾンビ史上、最大級の可愛さ

運命から その銃をもぎ取れ 『ロシアン・ルーレット』


この部屋出るのはどちらだ! 生き残る奴は誰だ!

  引っ込みのつかなくなった人生は例えて言えば
  運命と呼ばれるやつとロシアンルーレット


          筋肉少女帯ロシアンルーレット・マイライフ』


ゲラ・バブルアニ監督による、自身の作品『13/ザメッティ』のハリウッドリメイク(俺は未見)
我々が日々、生きていく上に於いて、死は避けられない命題である。当然の事だが、人は必ず死ぬ。それは、いつどんなタイミングで降り掛かるか誰にも判らない。その可能性が極端に低いため、今ひとつ、実感が湧かないだけだ。
例えば、一年のうちに、竜巻に吹き飛ばされて死ぬ確率は約6万分の1、交通事故で死ぬ確率は約2万分の1、肺癌で死ぬ確率は約2千分の1らしい。巨大隕石に衝突して死ぬ確率は…流石によく判らんが天文学的な数字なんだろう。
言い換えれば、俺たちは無自覚のうちに、装弾数がクソ程あるリボルバーを使ったロシアン・ルーレットを興じているとも言える。
そして、大多数の人々は、その偶然の銃弾に貫かれる確率を減らす為に、無駄なトラブルを避け、自己管理に気を配り、貯蓄をし、石橋を叩いて渡るように退屈な日々をやり過ごすのだ。

だが、ごく稀にその確率を無闇に吊り上げる人間がいる。無謀な行為を繰り返し、酒・タバコ・ドラッグ漬けの不摂生で怠惰な生活、貧困に苦しみ、危ない橋を渡るのも厭わない…、己の欲望のまま、短絡的且つ無軌道に生きる、いわゆる「命の値段」が安い人々。当然、その報いで死の確率はどんどん上昇していき、最終的には6分の1、3分の1、そして、2つに1つ…。


そんな激安人間(©戸梶圭太)達の、最期の逆ギレを描いた痛快作が『ロシアン・ルーレット』である!!!





…と、予告観た限りは思ってたんだけどなぁ(違うんかい)。
いや、登場人物の設定は確かに程よく「安い」んだけど、それ以上に人物描写と脚本が「薄い」から、どうにも感情移入ができないんだよね。激安人間の活躍は大歓迎だけど、激薄で嬉しいのはゴ(自主規制)
真面目な話、ゲームの主催者側には「薄い」というか感情が見えない描写の方が得体の知れない恐怖感が増幅されて効果的だと思うんだが、ゲームの参加者側に対しては、多少、過剰でもいいくらい感情が見えるようにしてくれないと、折角、生死を賭けたギリギリのタマの獲り合いが眼前で行われているのに「あー、死んだよねー、そーよねー」と、観る側の「命の終わりに対峙している」という感覚が希薄になってしまう。
参加者側である程度キャラ付けがされているのは3組程度で、病気の父を抱えた、貧しい青年ヴィンス(サム・ライリー、元ジョイ・ディヴィジョン。もとい、映画『コントロール』でのイアン・カーティス役)と、重罪人らしいパトリック(ミッキー・ローク、元ランディ)と、胡散臭い男ジャスパー(ジェイソン・ステイサム、元運び屋、現ハゲ)と、死を間際にした兄・ロナルド(レイ・ウィンストン)くらい。折角、17人での殺し合いなのに、これは勿体ない。もう、ベタでも「おれ…、この殺し合いに勝利して大金を掴んだら、病に苦しむ妹を救うんだ…」とか、死にフラグ立ちまくりの奴とか用意してくれるだけでも大分変わるのに!別にキャラを拡げろとは言わんから、それぞれ何らかの動機付けはしてくれよ!
後、これは間違ったホラー映画とかと同じ失敗で、ミッキー・ロークジェイソン・ステイサムみたく有名どころが主要人物に配されると、「この人は、まだ死なない」と安易に想像できて、シーン毎の緊張感が削がれてしまう。思い切って「サミュエル・L・ジャクソン、説教中にサメに喰われる」級のビックリ演出してくれたら話は別なのだが。リメイク元の『13/ザメッティ』は、無名俳優を使う事で、この辺りを上手く回避しているようなので(勿論、低予算だと言う事もあるが)機会があれば鑑賞したい。

良い点をいえば、狂気のゲームの舞台となった、森奥深くにある謎の館と、周辺の寒々しい風景は何処か『ホステル』を想起させて、禍々しさを増幅させる装置として機能されている。雪深い鉄道での警句的なラストシークエンスも、若干、月並みだが皮肉が利いている。




・そういや謎の館のボディガード役でドン・フライが出演していた。『ゴジラ FINAL WARS』以来ですか?(調べてみたらマイケル・マン監督の『パブリック・エネミーズ』にも出演していたらしい)
・で、ドン・フライといえば元「PRIDE男塾塾長」なので、賭けゲーム開始の際に「むう、あれは伝説の競技『露西亜瑠雨烈闘』!」「知っているのか、雷電?」みたいなくだりを期待したのだが、勿論なかった。
・予告等に使用されている惹句に「勝率1%。運がなければ、即、死亡」とあるが、「勝率1%」ってのはどういう計算に基づいてるんだい?正しいのかい?数学は得意じゃねえんだ!

『ブラック・スワン』を観て思い出した、とある男を襲った悲劇


Based on a True Story


昔、ケリー・フォン・エリック*1というプロレスラーがいた。


彼の父はフリッツ・フォン・エリック*2。巨大な掌と一説には200kgを超えると言われた握力を持つ有名なプロレスラーで、必殺技「アイアンクロー」を武器に世界中に名声を轟かせた。日本でも、ジャイアント馬場のライバルとして数々の好勝負を残している。
フリッツは、地元テキサス州ダラスにプロレス団体WCCWを設立。同団体のオーナー兼エースとして活躍。引退後もプロモーターとして一時代を築いていた。
私生活では男の子が6人と子宝にも恵まれる。その後、不慮の事故により長男のハンス・アドキッセン・ジュニアを幼くして亡くすという悲劇を乗り越え、残った5人の息子達をプロレスラーとして育成していく。
フリッツには「夢」があった。悪役レスラーであった自分が叶えられなかった夢。それは、我が息子達を世界3大ヘビー級王者に君臨させる事。当時のアメリカの世界3大プロレス団体とは、WWF(現WWE)、NWA、AWA、の事であり、フリッツ自身、過去にAWA世界ヘビー級王座のベルトは腰に巻いている。しかし、NWA王座、そして最大の団体と言われたWWF王座を手中に収める事は無く現役を退いていた。元来、ヒール(悪玉)の彼には、タッグ王座は兎も角、シングル王座の座に就くのは、かなり困難な事であったと思われる。
しかし、息子達は違う。地元のマットで、次世代のスター候補として育て上げた彼等なら…。「偉大なるエリック一家」これがフリッツの「夢」だった。
そんな夢を抱く彼に、またしても悲劇が訪れる。84年、次期NWA世界ヘビー級王者の最有力候補だった三男デビット*3が急死する。25歳の早すぎる死であった。(死因は諸説あるが、公式には内臓疾患とされている)
だが、僥倖は不意に訪れる。奇しくもデビットの追悼興行において四男ケリーがリック・フレアーを撃破、若干24歳にして第67代NWA世界ヘビー級王者となるのである。
精悍な顔立ちと長くなびく髪、レスラーとしては少し線の細い次男ケビン*4や五男マイク*5と異なり、190cmを超える上背と恵まれた逆三角形の体格、親父譲りの巨大な掌と、そこから繰り出される凄まじい握力。デビット亡き後、エリック兄弟の中で世界王座制覇に一番近い男として、ファンの、そして父の期待を一身に背負う事となる。
そんな中、順調にキャリアを積み重ねる彼に突如、災難が降り掛かる。86年にオートバイ事故を起こし緊急入院、右足に完治は不可能と思われる重傷を負ってしまう。この大事故に誰もが復帰は絶望的と考え、将来有望な選手の不幸を嘆いた。
この頃からマスコミやファンの間で「呪われたエリック一家」と囁かれるようになる。この出来事に更なる追い討ちをかけるように、87年4月、次世代の希望を託されていたマイクが、故郷ダラスの湖で服薬自殺。度重なる「呪い」。これでエリック一家は終わったと誰しもが思った。
しかし、奇跡が起こる。一時は再起不能と思われていたケリーだったが、彼は不屈の闘志でリハビリを重ね、87年10月に驚異の復活を果たしたのである。このニュースにファンや関係者は歓喜した。「ケリーが呪いを撥ね除けたのだ」と。
復帰後も本拠地のWCCWで、AWA王者ジェリー・ローラーとの抗争を繰り広げる。そして、着実にキャリアを重ねたケリーは、遂に90年、テキサス・トルネードの名で念願のWWF参戦。同団体のヘビー級王座に次ぐNo.2タイトル、インターコンチネンタル王座を奪取する。父のAWA世界ヘビー級王座と合わせ、エリック一家の、父・フリッツの長年の夢、世界3大ヘビー級王座制覇まで後一歩に迫る。もう少し、もう少し…。


…しかし、最早、彼の肉体、そして精神は限界を迎えようとしていた。


この時期から、ケリーのファイトは徐々に精彩を欠く。実は、事故以降、彼はコカインや鎮痛剤の力を頼りにリングに上がり続けていたのだ(元々、コカインは使用していたとの説もあるが、事故以降に依存は顕著となっている)。ドラッグ中毒者となった彼は、その影響で試合を怠っていき、出場停止の処分を受ける事も増えていく。そして92年、遂にWWFを解雇される。

この数年前、またしてもエリック一家を幾度目かの災いが襲う。六男クリス*6が21歳の若さでピストル自殺をしたのだ。彼は身長165cm、体重73kgと、兄達とは明らかに見劣りする、レスラーになるには非常に小柄な体格。エリックという名のプレッシャー。その苦悩の果ての自殺だったのかも知れない。


絶望の淵にいる彼の下にも、再び「エリック一家の呪い」が忍び寄る。93年2月17日、彼はコカイン所持の罪で逮捕される。別の薬物使用の罪で執行猶予期間中だった為、翌日、実刑を伴った有罪が確定。その同日、自宅である父親の農場に向かった彼は、ピストルで自らの胸を撃ち抜き、その激動の人生に幕を閉じた。




その数日後、悲しみに暮れる我々は衝撃の事実を知る事となる。手術とリハビリで復帰したと思われていたケリーの右足は、実は「義足」だったのである。彼は事故で失った右足に義足をはめ、片足を引き摺りながらリングに上がっていたのだ。


片足を失った彼を義足を付けてまで、尚もリングへと向かわした理由は何であったのだろう。偉大なる父の影。その父が息子達に託した「夢」。「呪い」のように次々に亡くなっていく兄弟。プロレス一家に育ち、リング上でしか生きる事を知らない哀しみ。世界最大プロレス団体のスターダムに立つ栄光。その地位を維持する重圧。そして、そこから零れ落ちる恐怖。失った右足が悲痛の叫びをあげる。幾多の要因が彼の精神を蝕んでいき、結果、薬物地獄へと堕ちていったのでは…というのは勘繰り過ぎなのだろうか?


結局、フリッツは「エリック一家の栄光」という夢を最後まで叶えられぬまま、97年に、68歳で癌の為にこの世を去る。「偉大なるエリック一家」の中で最後に残ったのは、既にプロレスラーを引退していた次男ケビンのみだった。*7




『レスラー』のランディは、自らの怠惰な性格により、半ば自業自得な形で破滅を迎えていった(だからこそ男泣き映画になり得たのだが)悲しき男の物語だったのに対し、『ブラック・スワン』のニナは、過保護な母親の「過去の夢への妄執」という呪いから逃げる術を知らないが故、バレエの世界以外を知らないが故、自らを狂気の果てへと追い込んでしまった精神的に幼き女性である。その姿に、強大な権力を持つ父の下で、プロレスの世界に生きる事を余儀なくされた若き2世レスラーの悲しげな姿が重ねて映る。そこに『レスラー』とは似て非なる、自らの力では抗えない不条理な悲しみと恐怖を感じてしまう。


義足を付けたケリーが、リング上で見た光景は輝いていたのだろうか。せめて、映画の中のランディやニナのように、リングの上だけは、目映い光を見出していたのだ…と願わずにはいられない。

*1:上記写真左端

*2:同写真右端

*3:写真左から二人目

*4:写真右から二人目

*5:写真中央

*6:写真中央の少年

*7:参考文献・中島らも著『アマニタ・パンセリナ』

”友情”・”努力”・の果てに”勝利”はあるのか?  『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』


目と目で通じ合ってます。


キック・アス』のマシュー・ヴォーン監督作。X-MENシリーズ過去作は1.2は「観たけど、あんまり記憶に無い」という、ある種「観てない」よりもタチの悪い状態だったので、当初はスルー予定だったのだが、Twitterでのフォロワーの方々が軒並み絶賛の嵐だったので、予備知識ほぼ無しのまま鑑賞。…何これ!?超面白いじゃん!!格好いい主人公!しかもCIAの秘密組織!そのうえ超能力!個性豊かな仲間達!これも超能力!敵はナチの残党!これまた超能力!おっぱい(青色と銀色だが)!素晴らしい!!

冷戦時代、キューバ危機という史実を舞台に、X-MENシリーズの根底にあるテーマである「異人種への差別」という、重くなりそうな世界観を、説明過多にならず、且つ人物背景が理解出来る鮮やかな演出で見せてくれる。


そして、何より2大主役の「プロフェッサーX」ことチャールズと「マグニートー」ことエリック。片や、裕福な家庭で暮らしながらも家族の温もりを知らない。もう一方は、ナチス強制収容所の中で育ち、最愛の母を目の前で惨殺されるという壮絶な過去を持つ。この対照的ながらも、心の奥に拭いきれない孤独を抱えた若き能力者2人。彼等が惹かれ合うのは当然!そして、お互いを深く理解し、畏敬しながらも、各々の信念を貫くため、別の道を歩む事となる。これもまた必然!そこに流れるのは義兄弟的な熱い、アツ過ぎる友情!
全世界の腐女子達は、このカップリングでBL同人を描きまくって萌えまくるに違いない!飛影はそんなこと言わない!!


そして、彼等の下に集う異能者たち。或る者は能力をひた隠しながら生活し、或る者は能力を制御出来ずに困惑している。そんな、まだ未熟で己の特異なる力を有効に活用出来ずに弄んでいる若者達が、軋轢や困難、そして仲間の死を乗り越え、努力に努力を重ねた鍛錬により、一人前のX-MENと成長していく。そして挑むは、世界転覆を目論むミュータント、セバスチャン・ショウ(演じるはケヴィン・ベーコン。残念ながら透明人間ではない=金玉は出さない)率いる強大な悪の秘密結社『ヘルファイアクラブ』!…これは燃える!チーム物として燃える!
集まるメンバーも、キャラは立っているが、主役の二人を喰ってしまわない程度の脇役感があって良い(100%主役級のウルヴァリンはチョイ役で御退場いただいていた)。『ドラゴンボール』だって、フリーザ一味と戦うメンバーが悟空、ベジータ級ばかりだったら面白くないでしょ?これはクリリンの分!!


そして、そのミュータント全面戦争の果てにX-MEN 1期生は真の勝利を掴み取るのか!!…。と、ここで物語は見る者に、そして彷徨える異端者達に問いかける。”勝利って何だね?”と。理想主義のプロフェッサーXは、人間社会との共存を望み、迫害された過去を持つ現実主義のマグニートーは、仇敵への、そして社会への復讐を誓う。ここには昔ながらの少年漫画やヒーロー戦隊もののような安直な正解は無い。正解を得られぬまま、二人は袂を分かつ。自分の解答を信じて。物語は、ここから始まる。……てか、始めてください。お願いします。その際は勿論、同監督、同キャストで。

はたらくのみさん 『さや侍』


静寂の森の中を、さや侍が走り抜けるタイトルバックは格好良かった。



松本人志監督第3作。過去作と異なり、松本自身は監督に専念し、野見隆明という松本のバラエティ番組で見出された素人の中年男性を主役に据えた異色作。
過去2作品と比べると映画の体裁を保っており、そこそこ楽しめたが、やはり、まだデカい劇場でかける程の力量ではないと思う。設定は「脱藩の罪で捕まった侍が、切腹を免れる為に、笑顔を失った若君を笑わせる「三十日の業」という試練を与えられる」というもの。で、この「笑い」の部分があまり乗れなかった。「三十日の業」で行われる「笑い」は、実際に松本がその場で野見さんに指示をし、彼の突拍子も無い振る舞いや、クセの強いキャラクターを笑うという見せ方で、これは彼が出演した『働くおっさん人形』『働くおっさん劇場』と同じ方法なのだが、これって、現実のおっさん達の醸し出す生々しさやノンフィクション性が含まれて面白くなるので、劇映画の、しかも時代劇というフィクションの世界で、「野見勘十郎」役を演じている人が再現すれば、それは役者の仕事の範疇であり、体を張って演技しているとは感じるが、あくまで物語の中の出来事、『働く〜』シリーズのようなドキュメンタリー的笑いはなくなってしまう(時折、門番役柄本時生が思わず笑ってしまったりと、リアルさを垣間見せる瞬間もあるが)。正直、幾多の「三十日の業」のほとんどを、「これプロの芸人がやれば、もっと面白い見せ方するんだろうな」と考えながら観ていた。(余談だが、「三十日の業」のひとつ「連続壁破り(一列に並んだ厚さの異なる数枚の壁を走りながら体当たりで破り抜けて行くというもの。まあ、バラエティ番組でよくあるアレ)」。あれ若君を笑わせる為にやるのなら、あの角度じゃダメだよな。あれじゃ、若君から見えるのは最後の壁を破った野見の姿だけで、笑いどころである「どんどん分厚くなる壁に悪戦苦闘する野見の滑稽な姿」が見えない。TVカメラがあってモニターでチェックするんならまだしも。その辺も詰めが甘いというか)
だから、『働く〜』シリーズが好きで、野見さんという「奇人」の人となりを認識し、愛着を持ってる人向けの「野見さんのアイドル映画」としては成立しているんだろうけど、俺のような『働く〜』シリーズの熱心な視聴者ではない人からしたら、「いや、これ現場で指示してアドリブで体張ってるんやでー」と言われても、「知らんがな、物語の中で行われている事やん」と感じてしまう。だったら『働くおっさん人形 THE MOVIE』でいいじゃん。実際『ジャッカス THE MOVIE』なんてのもあるんだし。
対するドラマ部分が、もう少ししっかりしていたら、まだ楽しめたのかも知れないが、残念ながら監督に演出の力量はまだ無いし、演じる素人の野見さんに「目で語る」演技力がある訳も無いので、クライマックスの感動させたいのであろう切腹のシーンも、彼の行動原理が理解出来ず、唐突な展開に戸惑うだけで、全く心に響かない。物語として見せたいなら、せめて父の葛藤なりの伏線を張っておこうよ。
ただ、野見さんはホントに個性の強い、イイ顔のおっさんだったので、物語性の希薄な『しんぼる』とかは、彼で撮り直したら、もっと面白くなるのでは?とか思った。(多分、松本自身は前2作も市井のおっさんで製作したかっただろうけど、出資している吉本側がそれを許さず、松本自身が主役を演じたと推測しているので)

Destroy All Monsters!!  『悪魔を見た』

チェ・ミンシクって、元ジョーダンズの三又又三に似てるね。それに石橋凌を混ぜた感じ。(以降、ネタバレあります)

婚約者を残忍な連続殺人犯ギョンチョル(チェ・ミンシク)に惨殺された国家情報院捜査官スヒョン(イ・ビョンホン)が、復讐鬼となって極秘捜査でギョンチョルを追いつめて行き、婚約者が受けた以上の苦しみをギョンチョルに強要させてようとしていく…。



『グッド・バッド・ウィアード』の印象も記憶に新しいキム・ジウン監督の最新作。レディースデイだった所為もあってか、イ・ビョンホン目当てと思わしき年配の奥様方も多く見受けられました。御夫婦で来られてた御婦人は鑑賞後に「もう、残酷だわ…」と旦那さんに愚痴を漏らしていた。そうですよねー。残酷ですよねー。いや、そこがいいんじゃないっすか!!いやもう今作は、鬼才キム・ギドク監督の狂気の世界、パク・チャヌク監督の復讐三部作、一連のポン・ジュノ監督作品、近年でもデビュー作で強烈なインパクトを残したナ・ホンジン監督の『チェイサー』等、数え切れない程に生み出された数多の韓国製血塗れ残虐映画。その総まとめ、集大成とも言える『殺人鬼総進撃』『オールサイコパス大進撃』といった趣の、イカれた奴らが大集合!の豪華なお祭り映画でした。
メインはチェ・ミンシク演じる連続強姦殺人犯ギョンチョルと、彼に婚約者を惨殺されたビョン様演じる国家捜査官スヒョンの対決なんですが、その合間にも、ギョンチョルが逃走中に乗ったタクシーの運転手と相乗り客は実は強盗犯で、ギョンチョルと車内で対決するとか、その後ギョンチョルが過去の殺人鬼仲間達のアジト(多分、金持ちの別荘か何かを乗っ取った模様)に逃げ込み、そこで追跡してきたスヒョンと1対3の戦いを見せるとか、かなり豪華な殺人鬼バトルが堪能できます。そこに出てくる殺人鬼仲間も個性的で、大柄な男は肉屋さんみたいな格好しながら生肉(劇中に言及はないが、おそらく人肉)を喰らってて、それが屋敷の不穏さと相まってレザーフェイスか『ホステル』かって言う感じの気持ちの悪さ。そいつと行動を共にする愛人女性も美しく妖艶なんだが、何処か何を考えてるか判らない禍々しさ。この気違い屋敷のシークエンスが、この映画の「サイコ祭り」感を増幅させてます。
いきなり脇役の話から始めてしまいましたが、勿論、メイン怪獣もといメイン悪魔のギョンチョルも存在感ばっちりで、『オールドボーイ』では怒りの復讐鬼でしたが、今作で彼を殺人の衝動に突き動かすのは、怒りでも悲しみでも無い。ただの快楽殺人犯。まさに最高の悪魔っぷりでした。しかし、おそらく彼がそのようになったのも何らかの理由はあったとは思います。途中でスヒョンがギョンチョルの行方の手掛かりを求めて、彼の実家を訪ねるのですが、そこには、ごく普通の老いた両親と中学生くらいの孫、つまりギョンチョルの子供がいます。鬼畜のギョンチョルも妻子がいた時期があったのでしょう。そこで母親がスヒョンに見せた昔の彼の写真は笑顔でポーズを決めているごく普通の男性。そして現在の彼の顔写真を見た母親は「こんな怖い顔になって…」と悲嘆の声を漏らします。悪魔が人間であった頃の手掛かりを辿れる唯一のシーンなのですが、彼が殺人鬼に変貌するに至る心理的な変化が判るような、具体的な理由は明示されません。だからこそ底知れぬ恐ろしさがあります。おそらくギョンチョルも(その萌芽はあったとして)生まれついての殺人鬼では無かったのでしょう。きっと長い人生の中で徐々に悪魔に変貌を遂げたではないかと思います。かすり傷がジグジグと蝕むように。小さな炎がジワジワと燃やすように。
対するスヒョンも、かなりの残忍っぷりで、仇敵のギョンチョルを捕らえては拷問して逃がし、拷問して逃がしと、復讐鵜飼い人みたいな執拗な行為は、常人の沙汰ではありません。公式サイトでも引用されている、哲学者ニーチェの「善悪の彼岸」に「怪物と闘う者は自らが怪物と化さぬように心せよ。お前が深淵を覗き込む時、深淵もまたお前を覗き込んでいるのだ」という一節があるのですが、まあ簡単に言うと「ミイラ取りがミイラになる」って事ですね。狩りの如く報復を繰り返す彼も、復讐の業火で一気に悪魔と化してしまったのでしょう。ちなみにウィキレベルの情報なんですが、「深淵」という言葉には、水の深く淀んだ場所という意味以外にも、悪魔学においては「進化の終着点」を意味し、即ち人間の行き着く最後の未来を意味しているそうです。
ただ、設定の甘い部分も多々あって、「いや、さすがに警察無能すぎない?」とか「根本的にビョン様つよすぎじゃね?」とか御都合主義だなとは思うのだが、「まあ、お祭り映画だしねー」と割り切って観てました。先程言った復讐鵜飼い人みたいな回りくどい行為をするのも「お祭り映画なんだから直接対決は最低3回はしないと!」という製作者サイドのサービス精神の表れなんでしょう(そうか?)
今作は最初に言ったように、韓国残酷映画の総まとめだと思ったのですが、これはキム・ジウン監督だからこそ出来たのではないかと思います。
監督のフィルモグラフィーを見ると、デビュー作『クワイエット・ファミリー』はドタバタブラックコメディ、プロレスを題材とした『反則王』は正調コメディ、『箪笥』は心霊ホラー、近作の『グッド・バッド・ウィアード』は韓国風王道ウエスタン、俺は未見ですが『甘い人生』ってのはビョン様主演のサスペンス・ラブストーリーと多ジャンルに富んでおり、個人的な印象としては「手堅い作品を撮れる監督」というイメージです。きっと監督は錚々たる過去作の残酷描写を踏まえつつ、自身の確実な演出で今作を撮りあげたのではないでしょうか。だからこそ成人指定を受けるような凄惨で猥雑な描写をしながらも、キッチリした娯楽映画として纏め上げる事が出来たのではないかと思います。
ただそれは、先程例に出した先人達と比べるとクセが無い、悪く言えば個性的では無いとも受け取れます。場面に依っては面白いながらも既視感があったりもしました。そういう意味でも「集大成のお祭り映画」という感想です。
しかし、云わば職人的とも思われる監督ですら、こんな残酷映画を撮ってしまうという韓国映画の土壌は正直羨ましく思います。先日『冷たい熱帯魚』を鑑賞した際に「ようやく韓国映画に対抗できるものが出来た!」と感嘆の声を上げたのですが、韓国では『悪魔を見た』は公開から僅か10日足らずで100万人近くの動員数を叩き出したそうです。正直、大違いです。園監督が「異端」と言われてるようじゃダメなんでしょう。シネコンにも掛けれるような「王道」の血塗れ映画が日本で製作される未来は訪れるのでしょうか。







あとは超どうでもいい部分を箇条書き。


・被害者女性の父親役にチョン・グックァン(『義兄弟』の“影さん”でお馴染み!)が出演していて、ずっと「いつ悪魔に変身して、ミンシクとビョン様をぶち殺すのか?」とドキドキしながら観ていた。

・殺人鬼仲間の気違い悪女キム・インソ。俺は彼女を最初『渇き』のキム・オクビンだと勘違いして「おー、豪華!」とか思ってたが、後で写真をみてみたら全然違う人だった。俺の識別能力なんてその程度ですよ。

・上映始めにチェ・ミンシクは、登場してすぐに判別できたのだが、イ・ビョンホンの顔を理解していなく、「うーん、これがビョン様なのかな?あっ、河原まで来て泣いてるし、こいつに間違いない!」と察した。俺の識別能力なんて・・・。

・俺は血塗れ・残酷・暴力描写は結構慣れてるのだが、その逆にウンコやゲロの描写は滅法苦手。だから例の下剤を飲んで云々のシーンは思わず視線を逸らした。

・ギョンチョルの前にスヒョンが当たった別の容疑者が見ていたエロ動画は日本製だった。血塗れ暴力映画では韓国に負けてるけど、エロでは負けてない!!